こんにちは。
相変わらず、うちの推しメンたちが弱いですが元気出して生きていきましょう!
今回の推しは織田信長の家臣団で出世頭だった「塙 直政(ばん なおまさ)」です。
また弱いんですよこの方が。
ところでこの方、途中で名前が変わって”原田 直政”になりますが、同一人物です。
この人、一般的にどっちの名前で呼ばれてるんだろうか?
どっちでも良いか。
それよりも読み方が分からないのが困る。
「塙」は”バン”なのか”ハナワ”なのか読み方がはっきりしてないらしい。
現在有力なのはバン読み説のようです。
通称は九郎左衛門尉なんで「くろうざえもん」とか「くろう」あたりでみんなから呼ばれてたんだろうか。名字で呼ばれる時は「ばんどの」とか?時代的に官位もらうまでは、ほとんどの場合、通称で呼ばれてたと思いますけど。
そんなバンさん、あるいはハナワさん、そして最後はハラダさんの輝かしい足跡をたどってみます!
赤母衣衆として将来を嘱望される
”馬廻”とか”母衣衆(ホロシュウ)”とかって聞いたことありますか?
戦場で親衛隊や伝令として大将の身辺に控えていた人達らしいです。
実態はよくわかりませんが。
織田家の母衣衆を見てると護衛や使いっ走りに使うには豪華すぎる面子ですし、小姓とかではなくて、それぞれが領地を持って家来がいる身分ですし。
いや身分や領地自体も各自バラバラっぽいんですけど。
一体誰が何を基準に選んだのか。
何なんでしょうね?母衣衆って。
もしかするとただの名誉職的なものだったのかもしれませんね。
実体はないけど表彰者一覧みたいな。
はい、その実態の怪しい”お母衣衆”。
秀吉や他の武将にもホロ衆はいましたが、織田信長が家中に設置した黒・赤の”おホロ衆”ほど有名なホロ衆はないと思います。
この織田の母衣衆連中は織田家中において「将来を約束されているレベル」の中心人物達だったようでして、わずか20人ぐらい(例によって諸説あり)の中から織豊時代の大名が複数輩出されています。
有名OBは、まず「前田利家」(by赤母衣衆)ですね。
OB連中の中で知名度はダントツでしょう。
加賀百万石の藩祖様ですから。
次いで「佐々成政」(by黒母衣衆)でしょうか。
織田時代に越中を、豊臣時代に肥後を任されていました。
他には飛騨高山藩祖の金森法印さん(赤)、甲斐をもらった川尻さん(黒)や和泉→越前の蜂屋さん(黒)がおりまして、歴史の結果論なのか織田の目利きが常識外れなのかは置いといて、ものすごい集団だったんですよ。
織田家の母衣衆って。
単なる信長公お気に入りの寄せ集めだった可能性も捨てがたいですが。
そして我らが”塙直政”(by赤母衣衆)も、その「ものすごい集団(仮)」に名を連ねていました。
これより直政の華麗なる経歴が始まります。
いきなり重役として登場
直政は赤母衣衆に選ばれる以外は信長初期の事績(尾張統一から美濃侵攻あたり)にほぼ名前が出てこないらしいですが、稲生や浮野といった織田家で大きめの合戦には参加していたようです。
普通に考えて、その流れで今川家や斎藤家との諸々の戦にも参戦していたでしょう。
赤母衣衆ですし。
名前が残るほどの活躍がなかっただけで。
そんな活躍不足の直政も織田の京入りあたりから突然、活躍し始めます。
ここで京に入った織田家の仕事がどれほど大変だったか想像してみます。
この時期の織田と周辺状況。
豊穣の地、濃尾と一部伊勢・近江を手に入れた織田家は上洛のタイミングですでに天下一の大名だったかと思うんですよ。
戦力的に。
対抗勢力も近江は六角家がまとめきれず有象無象がはびこり、ほぼ京を制した三好家も身内争いで往年の勢いはしぼみ続けてるところ。
逆に織田家は将軍様の威光もバックにつけて旭日昇天の勢い。
一気に京を実効支配して戦乱に疲れた都に秩序をもたらします。
文章にまとめると簡単ですが、洛中の治安回復を周囲の諸勢力に注意したまま行うというのは一大事業だったと思います。
朝廷や将軍家との応対には用件以外にも古式ゆかしいお作法の取り決めとかも色々あったでしょうし、織田家の皆さんも所詮はこの間まで中部に暮らしていた田舎者の集まりですし。
織田家の中でそんな仕事に対応ができる人間は限られていたでしょう。
基本的に外注でしょうが外注先の管理やトラブル処理は自分で行うしかないですしね。
この時期、秩序回復と維持の為に織田家臣の皆さんは朝廷や将軍家、市中を走り回っています。
各所への文書発給にパトロール、物資調達、調停・裁定、根回し・工作も兼ねた挨拶回り等、忙しなく動いたことかと思います。
同時に内外に軍事力を誇示する為には将兵の管理業務も必要だったでしょうしね。
この織田家の京都処理を捌けた人間が信長の覚えもめでたく、家中での存在感を増していったのは想像に難くありません。
その筆頭が明智光秀であり、塙直政だったのでしょう。
(村井貞勝や長岡藤孝(細川幽斎)も多分そう)
はい、ここで直政登場です。
それまでモブ気味だった直政がここへ来てついに登場しました!
織田家臣でもこの時期すでに現場の中心的存在であったと思われる木下秀吉や明智光秀、佐久間・柴田・丹羽・その他、例の母衣衆の面々にまじり・・・
なんと直政も一緒に仕事をしています。
それも朝廷の使者とか蘭奢待切り取りとかの
重臣しか任せられないような仕事をしています!
どうしたんでしょうか、いきなり。
おそらく記録がないだけで「いきなり」ではないんでしょうね。
実はこれまでも色々と功績を積んでいたのか。
それとも元々、警備や周旋業務には適性があると評価されていたのか。
事務方の仕事はその苦労や重要性の割に日の目をみることがないので裏方としてキャリアを積んでたんでしょうかね。
まあ腐っても赤母衣衆に選ばれたほどの人物です。
前々から光るものはあって、それが織田家入京という全国的にも耳目を集める大舞台へ来たタイミングで一気に開花したんでしょう。
不審な活躍を裏付ける女の存在
そんな大活躍を見せる直政ですが、活躍できたのは妹の存在も大きかったのかなと思ってます。
実は直政の妹さんは信長の側室なんですよ。
いっぱいいた側室の内の1人ですが。
嫁いだ時期とか不明なんですけど、側室ったって家中最高権力者の奥さんです。
さらに信長の正室は名前の割に存在感が薄く、何より子供を産んでません。
信長の嫡男も別の側室が産んでます。
そこへ子供、特に男子の1人でも直政の妹が産んでいれば直政の地位も爆上がりです。
「直政が信長の子供のおじさん説」、証左があるわけではないんですが信長の子供って20人ぐらいいて、ほとんどの子供の母親が誰か不明なんです。
女子なら織田家に関わらず側室の子の場合、母親不明はよくありますけどね。
そんなたくさんの子供の母親の1人が直政の妹である確率は低くないはずです。
実は信長と直政の妹の間の子供とされる人物もいらっしゃいます。
後編へつづく
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