7.うちの推しメンが弱い② ~片桐且元 後編~

片桐さんのここがすごい

はい、それでは以下、片桐さんのすごさまとめ。

 

◆すごさ「その1」 ◆

前回の通り、まずは秀吉が次代を担う若武者たち、「秀吉麾下に七本槍あり」と誇大広告を打ち上げたメンバーの1人に選抜されていること!


すごいですね。

実にすごさがうかがえるエピソードです。


「片桐且元」を喧伝するにはやはり「賤ケ岳七本槍」のメンバーであることが非常に大切な要素となります。


ところで、この“七本槍”は実をいうと虚名っぽいかな?ってお話も残っております。



有名どころの加藤・福島ら本人達が、七本槍呼ばわりされるのをあまり名誉として受け取っておらず、はっきり言って嫌がっていたとか。

 

福島に至っては名指しで「脇坂(「その他」4本のうちの1人)などと同列にされるのは迷惑だ」と放言したというエピソードが有名です。



これいつ頃の話だろう?

脇坂さんの名誉のために(?)言っておくと「関ヶ原の戦い」以前と以後でこの言葉から受ける印象が大きく変わるんですよね。

脇坂さんは”関ヶ原”で西軍から裏切って東軍についたメンバーの1人ですから。


一般的には、この裏切り行為が関ヶ原における東軍の勝因とされています。

つまり、関ヶ原の後での発言とすると、初めから東軍側だった自分が裏切者の脇坂と一緒にされるのはゴメンだということでしょうか?


あと、脇坂「など」という言葉は脇坂「なんか」という意味なのか、脇坂「達」という意味なのか。


脇坂さん個人なのか七本槍の他の4本、もしくは5本も含むのか。

6本はなさそうです。最低でも福島は加藤(清)は自分と同格であるとみていた節があります。石高から考えて加藤(嘉)もそうかな?


後者なら多分、自分に比べて小身だった”その他の4本“を見下しての発言でしょう。
ムカつきますね。


4本の中には片桐さんが含まれるというのに


なんか話がそれましたが、且元を愛するが故です。すみません。

 

話ついでに下は七本槍の胡散臭いエピソード一覧です。

七本槍は胡散臭さにおいて枚挙に暇がありません。

 

 

七本槍、その怪しさ

〇七本槍筆頭(もちろん真実は片桐さんがダントツで筆頭ですが一応、世間のイメージとしてね?)の“福島正則ふくしままさのり”。

他の6人が賤ケ岳での戦功として一律3000石ボーナスのところ、正則だけは5000石。
突出しています。

 

戦功は一番槍かつ一番首とも、音に聞こえた戦上手、“拝郷家嘉(はいごういえよし)”を討ち取ったことともいわれています。

あやふや。

色々とあやふやであることが信憑性の低さに拍車をかけます。


それとも一番槍で家嘉を討ち取ったのか。

だとしたら家嘉、無防備すぎます。

一応、一手の大将だったと思われる家嘉が開始早々、諸兵を差し置いて一番に敵の手柄になってしまったということになりますもんね。


あと正則は秀吉の割と近い親戚みたい。コネ持ち。

片桐さんにもコネがあれば5000石どころか10000石もらっていたところです。一気にお大名ですね。惜しいなあ。


で、この正則以外の6人が本当はそこまで特別な活躍をしていないとか。

 

・・・?

片桐さんは大活躍だったはずですが?



〇“加藤清正かとうきよまさ”が討ち取ったことになっている佐久間軍(勝家側の主力)の猛将、“山路将監”は別の人間が討ち取ったが、後世、清正ファンが清正が討ち取ったことにしたとか (この件以外にも清正の猛将エピソードは9割方がファンによる創作という話もあります)。

こんなんばっかですね。



〇7人以外にも活躍していた武将がいて、実は7人の活躍も月並みなものだったとか。

実際、七本槍ではなく、九本槍という別の話もありますが、この場合でも残りの2本は戦時中と戦後すぐに亡くなっているので、ここは七本槍でいいか。

 

片桐さんの評価には関係ないし。



他にもありますが長くなってきたので以下、割愛。

うーん虚名・・。
実に虚名っぽいです。七本槍。

運営のゴリ推しで強引に仕立てられた感がぬぐえない。

 

時代劇の虚実

・・・まあ、一応お断りを入れておくと別に難癖つけたいたいわけじゃないですよ。

基本的に歴史もの、特に人気ジャンルの戦国時代の魅力的なエピソードというのは後世の創作であることが非常に多いんです。


夢のない話ですが、「そのエピソード、誰が聞いてどう記録したの?」っていうお話だらけですからね。


例えば「お殿様と家中ナンバー2の家老が2人きりで夜中にこんなすごいやりとりをした」系とかね。


そんな話が本人たち以外に漏れるかなあ?

その話の内容、関係者内のトップシークレットですよね??

内容によってはリークした人、打ち首モンですよね?

 

わざと世間に広めたいような場合でもなければ、ね。

 

そう、「賤ケ岳の七本槍」のように。


またまた、だいぶ脱線しましたが、虚実がどうあれ秀吉や羽柴家の首脳陣が将来を有望視していたからこそ、わざわざ「七本槍」と銘打ってブランディングしたわけです。

 

身も蓋もない言い方になりますが、別にどこの大将首を誰が取ったかなんて秀吉からしたらどうでも良かったのでは?

勇敢に槍を合わせて敵を討ち取るなんていうのは、その辺で雇った喧嘩自慢の足軽にでもやらせておけばいいわけで。

 

要は当時、世間的に無名な若侍を天下にアピール出来たらそれで良かったんですよ。

家中に良い人材がいるというのは他家に対してドヤれるでしょうし。


羽柴家の拍付けが目的ですね。


片桐さんのおかげで秀吉も鼻が高い!


そして、そんなことより重要なのは秀吉がアピールしたいと思うほどのメンバーに片桐さんが入っていたこと!


さすがです片桐さん!!

マジいけめん!!!

 

 

◆すごさ「その2」◆

豊臣政権の中枢にいたこと。

すごいですね。


賤ケ岳以降、秀吉の勢力は瞬く間に日本中を覆いつくしますが、それにつれて生え抜きの面々も各地で所領をもらい、お大名になっていきます。


そして片桐さんの領地は秀吉の本拠地、“摂津国”内の「茨木」にありました。

今の大阪府の茨木市あたりかな?多分。
周囲羨望の本社勤務です。勝ち組ですね。


中部や四国を転々とまわされていた”福島正則”や九州の片隅に左遷されていた”加藤清正”と比べ、豊臣政権から片桐さんへの段違いの信頼の厚さが透けて見えます。


もらった領地の石高は田舎組に比べると、ほんのわずかですが(ほんの1桁ほど)少なかったようですが些細なことです。

田舎と違って街中は土地が余ってないんです!


このような事実からもわかる通り、実際のところ豊臣政権は片桐さんが回していたんですね!


陽気な片桐、天下を回す♪


石田三成いしだみつなり


・・・いましたね、そんな人も。

まあ彼も彼なりには頑張ってたみたいですけどね・・はい。

三成は栄光の大坂勤めでもないですし、・・・・公平に見て片桐さんには負けるかな、やっぱり。


うん、政権の中心にドッカリ座っていた片桐さんに比べられると誰でも見劣りしてしまいますよね!


ドンマイ、三成!相手が悪すぎた。

 


片桐さんが三成にどう勝っていたのかを詳しく書くのはかわいそうですし、石田三成は置いといて。

あと、他の”五奉行”やら”お伽衆”やら”豊臣家ご一門”やらもついでに置いときましょうね。

 


テーマは「片桐且元」です!



さあ無事に賤ケ岳の戦いを経て、地方大名も軒並みやっつけ、天下の主となった“羽柴秀吉”改め“豊臣秀吉”。


乱世から治世へ。


求められるのは巨大組織を管理・運営できる能力。


言うまでもなく、戦時の名将であると同時に平時の名吏でもある片桐さんこそが豊臣政権が欲してやまない人材であったことは間違いないでしょう。


そんなことは当然でしたね!


 

 

◆すごさ「その3」◆

秀吉死後には何と豊臣家の軍事・経済・外交その他諸々をほぼ一手に引き受けていたこと。


これは、やや本当の話です。

いや、他の話も本当ですけど

これは特に本当です。


有史以来、初の天下を制した英雄、“太閤”こと“豊臣秀吉”も遂に亡くなります。

その後、東西を二分して行われた天下の一大決戦である「関ヶ原の戦い」を経て、次なる天下人は関東に根を張る“徳川家康”その人。


そして関ヶ原以降は世間も「東の徳川」、「西の片桐」という雰囲気です。

 


ところで秀吉の死後、その遺児、“豊臣秀頼”がまだ子供でしたので、自分では豊臣家の仕事はできません。

どうしましょうか。

 

はい、片桐さんの出番です!


大坂では誰もが片桐さんに負んぶに抱っこ、激務に次ぐ激務の中、まるでこの世を一人で背負うかのような獅子奮迅の立ち回りで亡き太閤の落とし胤を守っていきます。

大恩ある秀吉から託された幼君を何とかしようとしていたわけですね。


片桐、おとこ過ぎ


「遺児を託せる男こそ本当の男」と、かのドラゴン紫龍も言ってましたし。

織田家の正嫡を関ヶ原のドサクサ紛れに葬り去った他の薄情大名たちとは一味違います。

 

 

無念の最期

はい以上、片桐さんのすごさまとめでした!



そんな偉大な片桐さんの最期は、”大坂の陣”の直前、その万能っぷりゆえに嫉妬にかられた能無し達が寄ってたかって裏切者扱いし、大坂城を追い出され、失意の中その人生に幕をおろすという悲劇的なものです。


”ヤマトタケル”然り、”源九郎義経”然り、華々しい実績を残しながらも悲運の最期を遂げた人間には同情が集まり、美化され偶像化されるものですが、片桐さんにはそんな幸福な評価は残されませんでした。


「世紀の裏切り者」。
あるいは「徳川の操り人形」、「政局に翻弄された小人物」。


片桐さんの想いを知らない人達は当時から現在に至るまで言いたい放題です。

本当泣きそう。


”賤ケ岳”において天下に雷名を轟かせ、その後は豊臣家の為に人生を捧げるものの大一番に来て周囲の悪意からコウモリ扱い。

さぞ無念極まりない気持ちでその生涯を閉じたことでしょう。


そんな片桐且元を少しでも応援したい気持ちがある方は明日から周りの人に片桐さんの凄さを言いふらしても良いんですよ?

筆者はしませんが。そんな迷惑なこと。

やりたい方は自己責任でお願いします。


そして“信長の野望”はいい加減、片桐さんの能力を上げろ!


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